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デレマス、艦これ、ガルフレ(仮)ソシャゲ原作アニメの出来が微妙な理由は、14年前に証明されていた説

 最終的には美城常務がアイドルデビューすると思ってたのに......。


そんな事はなかっNE!
美城常務が「にょわー☆」とか言ってハピハピしてくれたら正直どんなEDでも大絶賛ですよ。*1

とはいえ、大団円のラストで終わり、ライブやって何かとりあえず色々片付いてないけど盛り上がったし良いよね? って感じで終わっていったので、個人的にはライブシーンが見れて満足なので面白かったです(笑)

 

それはともかく、デレマスの2期はとにかく苦心してるのが伝わってきました。スケジュール的にも厳しかったのか頻繁に特番が入る等、元々アニマスの再放送含めて今年1年間アイマスを放送し続けるという企画が先行していた所為なのか、2期になって特に無理が出てきていた印象があります。

デレマス自体の出来をどう捉えるかは個々の受け取り次第なのですが、アニマスと比べる事は意味がないように思えます。というか、このアニマスとデレマスという比較は無意味で、原作の根本的な性質に拠る所が大きいのではないか、そう、むしろ何故、ソシャゲ原作のアニメの出来はイマイチなのか、そういう括りで見るべきないか、そしてどうしてそうなるのかは、14年前に証明されていたのではないかという話。

艦これ
ガールフレンド(仮)
そして、デレマス

デレマスの1期に関してはそこまでではありませんでしたが*2、前評判で期待されていたソシャゲ原作のアニメは悉くあまり良い評判ではないようで微妙な感じです。

何故、そうなるのか何か特別な理由があるのでしょうか?
それを踏まえて、これらの共通点を考えると、それはソシャゲである事ではなく、もっと別の要素。つまり原作に物語がないコンテンツは、アニメの出来がイマイチ良くないという仮説が立つのではないでしょうか?

元になっている原作のメディアは、ゲームであり、そしてそのゲームが核としている要素は、物語ではなくキャラクターです。大量のキャラクターが存在し、その中から自分が気に入ったキャラクターを育成したり、恋愛したりする。そういった類のコンテンツですよね。

そうしたコンテンツにおいては、物語はプレイヤー自身が作るものになります。
経験値は指先に宿るという言葉がありますが、自分が好きなキャラクターでゲームをプレイしていくこと、それ自体が物語となる。例えばそれは好きなキャラが出るまで必死にガチャを回したりとか、どうやって近代化改修しようか悩んだりとか、世界一有名な配管工にはストーリーなんて殆ど存在しません。何故か毎回のようにクッパがマリオと戦う為だけにピーチ姫を誘拐しては、マリオが「またか……」とか言いながら(言ってません)助けに行く。なのにそれで面白いのは、その面白さがクリアまでの苦労した体験、瞬く間に減っていく残機、そうしたプレイの過程こそがプレイヤーにとってのマリオの物語になっているからであり、それはソシャゲも同じでしょう。

アニマスも元はアイドルマスターというゲームを原作にしていますが、アーケード、初代、PSP、2と長いメディア展開の中でキャラクターの掘り下げといった部分が十分にされてきました。千早の弟話であったり、春香の悩みであったり、響が不憫だったり、真君がプリプリしゃんしゃんだったり、美希に至っては覚醒美希がなかったことにされたり、PSPで961プロに移行したり、振り幅がかなり広いキャラクターになっていましたが、それでもその時間の長さが、アニメ化以前に物語を構成するだけの十分な要素として蓄積されていました。

そして何より、明確に役割が分担されており、キャラ数が13人いるとはいえ、765プロのセンターは春香であり歌姫は千早であり天才は美希である。こうした役割がハッキリ決まっていたんですよね。

役割の割り算

 

ソシャゲは当然そのコンテンツの性質上、キャラクターが多いです。それも艦これ、ガルフレ(仮)、デレマスといったゲームはその中でもキャラの多さをウリにしているだけあって、べらぼうに多い。

単純な疑問として、ここまでキャラクターが多いものをアニメにしたときに、そもそも一つの物語としてまともに機能するのかという疑問が沸きます。

ゲームとしてプレイしているときは、自分が選ぶキャラクターがメインヒロインであり、プレイヤーとキャラクターが1on1の関係になるので全く問題ありませんが、アニメとして1クール或いは2クールと一つの物語として脚本を作るとき、これだけのキャラクターが等しく活躍して全員がメインとなるようなアニメが作れるかというと、それはもう最初から無理難題なのでしょう。

キャタクターの多さ、原作において物語の不在、これらが合わさった結果、必然的に上手くいかない。それはもうしょうがない、言ってもどうしようもないように思えます。

私だって、デレマスだと和久井留美さんが好きすぎるのですが、アニメでは殆ど出番ないだろうなって思ってましたし、自分が押してるキャラがメインにこない、そしてキャラ数が多くて一人一人掘り下げていく事も難しいっていうのは最初から分かってることでもあります。

アニメ化する時点で、どうしてもそれだけのキャラクターを活かす為の舞台設計を考えねばならず、そしてそれは当然アニメオリジナルという形の物語になる。この場合のアニメオリジナル設定というのは、最初からオリジナルなのではなく、原作の多数のキャラをどう動かせばいいのかというオリジナル設定なので、どうしても矛盾や齟齬といった歪みが出てしまいます。

特にキャラクターの設定だけある原作をアニメ化するパターンでは、ストライクウィッチーズやラブライブの1期と2期の関係など、このような作品は概ね同じような問題に突き当たっており、如何にアニメ化するのが難しいのか教えてくれています。

14年前にシスプリが教えてくれたもの

 

さて、キャラクター数が多く、原作にストーリーが存在しない。
そういう作品を考えると、今のこうした上手く行かない理由、そしてその解決策までも示していた14年前の2001年放送された画期的なアニメの事を思い出しました。

それが、SisterPrincessです。

アニメはシスター・プリンセス表記なので、通称アニプリ。
シスプリは元々が読者参加企画であり、その発端はラブライブと同じです。
というか、あのG'sマガジンで連載していて今では考えられませんが、泣かず飛ばずだった頃のラブライブを憶えてる人がいるのでしょうかw*3

当時、シスプリは絶大な人気を誇っていましたが、そんなシスプリのアニメ化が決定して喜んでいたファンの希望を打ち砕いたのがアニメ版でした。いやもうほんと……うん。

原作となるシスプリには物語は存在していません。全てが断片的に語られる妹達の思い出、記憶といったものだけです。そこにはお兄ちゃんが好きな妹が一人称で語るショートストーリーがあるだけで他の設定、時間軸が一切存在しません。

良く言われていた妹達12人の年功序列や解釈といった類のことは、シスプリに触れたことがない人が良く話題にしていたのですが、実際にはシスプリ内だと意味を持たず全くどうでもいいことです。基本的には兄と妹の2人のみで構築される世界において、どういう家庭環境なのか、誰が姉で妹なのかといった設定は全て余計なモノでしかなく意図的に排除されています。シスプリに存在していたのは、兄と妹、その最小限の設定だけで、後は読者に委ねられていたんですね。それはシスプリにとって、兄=読者だったからで、例えば公式で咲夜の年齢を14歳と決めてしまうと、14歳以下の兄=読者にとって、咲夜は妹ではなくなってしまう。そうした余計な情報を公式として一切付けないというのがシスプリの良く出来ていたところでした。それは当然読者参加企画だからっていうことが大きい。

この委ねられてるという構造は全くデレマスや艦これ、ガルフレ(仮)と同じです。ラブライブも元が読参企画だったので同じでした。そして、そんなシスプリですから、当然これらのアニメと同様に上手くいきませでした。いや、それどころで収まらない黒歴史として歴史に刻まれることになります(それでも個人的には好きでDVDを買っていますけど)

シスプリ1期のアニメが問題だったのは、特筆すべき低作画だったこともありますが、まず何より原作からあまりに掛け離れたアニメオリジナル脚本だということでした。

何故か受験に失敗した主人公が謎の島に連れてこられ、そこで初対面の妹12+1人と共同生活を送るという、何を言ってるか分からねーというポルナレフ状態。

これは勿論、原作が最小限の設定しかなかった以上、しょうがないことではありました。アニメである以上、主体となる語り手が妹から主人公=兄になったことも理解出来ます。しかし、そんなことはどうでもいいくらいに、切れて屋上に行きたくなるほど出来に問題があった。

つまるところ、現在のソシャゲ原作アニメが微妙な理由は、14年前にやはり同じ構造のアニプリの出来が悪かった時点で証明されていたのですが、しかしシスプリが凄いのは、この問題に対する一つの解決策もまた提示しているところです。

シスター・プリンセス RePureという解答

 

RePureは実に画期的であり実験的なアニメでした。
何と、キャラクターが多く物語も存在しないのならば、アニメにおいてもそんなものは必要ないのではないか、つまり、1クールの間におけるシナリオの連続性を放棄して、原作準拠のショートストーリーをやるだけのアニメとして作りかえられた。

やってることは1話完結です。
これは、デレマスや艦これのゲーム内での各キャラクターのイベントそのままアニメ化するというようなもので、アニメオリジナルの放棄でもあります。

が、かといって完全に放棄したわけでもない。このRePureが凄いのはAパートとBパートが全く違うアニメになっているということでした。Bパートは上記のような完全なエピソードアニメとなっており、しかも12人の各妹達それぞれ平等にメインの回が設定されています。そこには時間軸が存在せず、また各回、それに1期との連続性もありません。反面Aパートはどうかというと、ほんの僅かなオリジナル展開と、そして不平等な出番といった非常に奇妙な構成をしている。

これはつまりRePureというアニメが、原作とアニメの中間を模索し続けたアニメだったからで、この試行錯誤が生み出した特殊なアニメに仕上がっています。

果たして、どちらがファンに取って良かったのか?
アニメオリジナル設定で行くか、原作準拠のエピソードアニメか。

キャラクターが多く、物語が存在しない原作のアニメにおいては、この2つのどちらかしかありません。このどちらがファンに取っては良いのか。少なくともシスプリにおいて歓迎されたのは後者ですが、しかし前者のアニメオリジナル脚本の1期が完全に悪いというわけでもなく、1期は1期で、2クールのアニメとして連続性を持って描かれている分、物語的な意味で言えば間違いなく面白いのは1期です。2期は言ってしまえばファンアイテムといったようなものでしょう。OVAに近い。

ただ、アニメの爆発力、大ヒットを期待するなら結局は前者を選ぶしか方法はない気がします。後者が喜ばれるのはあくまでファンだけ。先ほどのデレマスで言えば、1話毎の繋がりがなく、毎回キャラクターのエピソード回だけに終始すれば、アイドルアニメとしての成長といった時間軸が全く描けず面白くはならないでしょう。

こうして考えると、ソシャゲ原作のコンテンツは、そもそも最もアニメに適さないのではないかという気がします。これは複数から一人を選ぶというギャルゲー構造自体がアニメに適さないってことにもなってしまいすけど。

だから決して、ソシャゲ原作のアニメに関しては、誰が悪いという話なのではなく、構造上の問題だからどうしようもないよねっていうのが結論になるんじゃないでしょうか?

だいたい20人も30人もキャラが出てきて、それが全部メイン級に活躍して、まともに面白くなるかって言われたら、それは無理っても(ryガンバリマス!

 

*1:筆者は田中敦子さんが好きなので、いつかギャルゲーのヒロインを演じて欲しいと思っている

*2:お客さん少ないじゃん? は、何のこと?

*3:あの頃、良くハガキ送ってたんですけどね